四十二通り目 Via Sant’Egidio e Piazza di Santa Maria Nuova
(サンテジーディオ通りとサンタ・マリア・ヌオーヴァ広場)
42番目の通りはVia Sant’Egidio(サンテジーディオ通り)とPiazza di Santa Maria Nuova(サンタ・マリア・ヌオーヴァ広場)です。
第17の通りで紹介したPiazza Gaetano Salvemini(ガエターノ・サルベーミニ広場)から東にY字に伸びる2本の通りがあります。
1つは奥の方にドゥオーモが見えるVia dell'Oriuolo(オリウオーロ通り)、もう1つがサンテジーディオ通りです。
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ドゥオーモに向かってまっすぐ歩くのもいいですが、今回はちょっと寄り道してみましょう。
サンテジーディオ通りは中世期の2番目の壁の外側の道でした。
道の始まりにピンティ門の名残が見られます。
フィレンツェの中心地は、中世期の2番目の壁の外側の道は、あまり広い道ではないにしろ、交通量が多く、バス通りにもなっています。
この道も主要な路線バスが通ります。
この道の名前の由来は、現在のサンタ・マリア・ヌオーヴァ広場1番地にあるサンテジーディオ教会です。
サンテジーディオ教会は8世紀ごろフランス人の修道院長、聖ジッレスにささげられた古い教会でした。
壁が取り壊されたとき、サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院に吸収されています。
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サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院は現在も利用されるフィレンツェ市内最古の病院です。
銀行家のフォルコ・ポルティナーリは、1286年にサンテジーディオ修道会の騎士団が廃止されたとき、この修道院を買収、フィレンツェで一番大きい病院へと改築しました。
彼が元々持っていたサンタ・マリア病院の代わりになったため、サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院と、「ヌオーヴァ=新しい」が付け加えられたそうです。
フォルコ・ポルティナーリは詩人ダンテ・アリギエリの永遠の恋人として有名なベアトリーチェの父で、病院の向かい側に伸びる道の名前にもなっています。
中世のヨーロッパでは「貧しい病人はイエス・キリストの化身として扱われる」との共通の規定があっため、ただで肉とワインが与えられたうえ、質、量が充実していたため、あっという間に評判になったといいます。
1927年にカレッジ地区にさらに大きな病院が建設され、移動したあとも、そのまま市内の主要な病院としての役割を果たしています。
残念ながら大改修中で、全景を見ることは出来ないのですが、ファザードと袖廊はGiulio Parigi(ジュリオ・パリージ;1571-1635)の手によるもの、天井にはフレスコ画も見られます。
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病院も歴史的建造物というところが、いかにもフィレンツェです。
向かい側の21番地には元オブラテス修道院があります。
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改修工事後の2007年春、この建物の入り口はオリウオーロ通りに変わり、公立図書館として使われています。
通りの始まりにちょっと戻ります。
この道の左側には小さいお店が点々と並びます。
その中の9番地に日本人のキミさんが経営する革小物店「tuorlo:トゥオールロ」があります。
カラフルな色使いが特徴のGABS(ガブス)のバッグを中心の品揃えで、店内はいつもいろんな色でいっぱいです。
ちょうど春・夏コレクションが入ってきたばかりのときにおうかがいしたので、いつもに増してカラフルでした。
小物はキミさんのオリジナルで、1点1点が手作りです。
価格もお手ごろなので、ちょっとしたプレゼント、お土産にも喜ばれそうです。
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「tuorlo」(トゥオールロ)
住所 |
Via Sant'Edigio,9r
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TEL |
055-2001013
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営業時間 |
火~土 10:30-19:30 / 月 15:00~19:30
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定休日 |
日曜、祝日
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一見、有名な建物が何もないこの通りですが、ちょっと目線が上げて建物を見て歩くと、いろんな彫像、紋章を発見できます。
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ペンチのような紋章が気になったのですが、何の紋章かわかりませんでした。
サンタ・マリア・ヌオーヴァ広場の真ん中辺りから伸びる道、フォルコ・ポルティナーリ通りを進むとオリウオーロ通りにぶつかり、右に曲がれば、そこはドゥオーモが目の前です。
お天気がよくなってくるこの季節、ガイドブックにはなかなか載らない通りを歩いてみてはいかがでしょう。
2009年3月 なお