五十二通り目 Piazza San Firenze
(サン・フィレンツェ広場)
52番目の通りは、ヴェッキオ宮殿の裏側にあるちょっと変形した広場、Piazza San Firenze(サン・フィレンツェ広場)です。
南側から見た広場は左手奥に大聖堂のクーポラものぞきます。
|
|
この広場は、シニョリーア広場からヴェッキオ宮殿沿いに伸びるVia de` Gondi(ゴンディ通り)を数十メートル進んだだけの距離にあります。
シニョリーア広場はいつも観光客がたくさんいるのに比べて、ほとんど立ち止まる観光客はおらず、シニョリーア広場からサンタ・クローチェ教会への通過点ぐらいの存在のように見えますが、フィレンツェの中心部には珍しいバロック様式の貴重な建物が残る広場です。
|
|
古代ローマ時代のフィレンツェ、広場の大半は一番目の壁が占めていました。
この壁のすぐ外側から西に伸びていた通りが、サンタ・クローチェ教会につながるBorgo de` Greci(ボルゴ・デ・グレチ)です。
壁のあった当時の名残が、通りの名前の「ボルゴ=郊外」に残ります。
この通りとの角に、古代ローマ時代に殉職したSan Fiorenzo(聖フィオレンツォ)にささげた小さい礼拝堂があったと言われています。
その後、いつごろからかはわからないのですが、サン・フィレンツェ教会と呼ばれるようになり、広場の名前の由縁となりました。
フィレンツェ人のサン・フィリッポ・ネーリが、ローマで創設した反宗教改革の旗印となるオラトリオ会が、1600年半ばにフィレンツェに本拠地を構える際に、サン・フィレンツェ教会の場所を選び、サン・フィリッポ・ネーリ教会と修道院を建設しました。
この修道院はサン・フィリッポ・ネーリ教会を左側に、サンタポッリナーレ教会を右側に構えます。
|
|
1775年の修復のときに、2つの教会に同一のファザードを造り、3つを統一させるような正面部分を造りました。
この修復を経て、フィレンツェのバロック様式の建物を代表する巨大な館となり、建物の統一の呼び名として「サン・フィレンツェ教会」の名前を受け継ぎました。
|
|
正面中央には修復時の資金を提供したセッラーリ家の紋章が見られます。
現在では裁判所と裁判官のオフィスとして利用され、人の出入りが激しい建物となっています。
サン・フィレンツェ教会の向かい側、2番地に位置するPalazzo Gondi(ゴンディ宮)は、フィレンツェ出身のGiuliano da Sangallo(ジュリアーノ・ダ・サンガッロ;1445-1516)によって1490年より建設が始まったのですが、完成したのはだいぶ後の1874年でした。
15世紀を代表する建物のメディチ・リッカルディ宮、ストロッツィ宮と同じ建築様式なのが特徴です。
特別なお店がある広場ではないのですが、コンドッタ通りとの角近くにある新聞・雑誌などが売っているスタンドには、カレンダーや絵葉書、立体的な装飾が付いた磁石などちょっとしたおみやげになりそうなものを安く扱っているので、のぞいてみてください。
有名観光スポットの間にあるせいか、見過ごされがちな広場ですが、意外な撮影スポットなのでぜひ立ち止まってみてください。
2010年01月 なお