五十三通り目 Via Ricasoli
(リカーゾリ通り)
53番目の通りは、ドゥオモからサン・マルコ広場を南北に結ぶVia Ricasoli(リカーゾリ通り)を歩いてみます。
ドゥオモからこの道に入ると何となく、殺伐としていますが色々なお店や美術館が長く続く楽しい道です。
リカーゾリ通りという名前は1860年3月30日に名づけられました。
リカーゾリというのはこの時代フィレンツェで活躍していた貴族の名前に由来します。
それまで、この通りはVia Cocomero(スイカ通り)と呼ばれていました。
その名前を1860年に
- この通りにリカーゾリ邸があったこと
- この時代に活躍をしたBewttino Ricasoli(ベッティーノ・リカーゾリ)の名前にちなんで
という二つの理由からスイカからリカーゾリに改名されました。
では、ベッティーノ・リカーゾリとはどんな人物だったのでしょう。
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ベッティーノ・リカーゾリは1809年にフィレンツェで生まれます。
自他共にとても厳しく、頑固者で「Barone di Ferro(鉄男爵)」と呼ばれた彼は自然科学、物理学に大変興味を持ちますが、それらにもまして政治の世界に興味を持ちます。
彼の生まれたこの時代は、イタリアはまだいくつもの小国の集まりでした。
そんなイタリアをトリノ出身のサヴォイア家はイタリア統一を模索し、この統一に多大なる功績を残したのが、ベッティーノでした。
それまでトスカーナを治めていたトスカーナ大公にサヴォイア家に従うように説き伏せ、 トスカーナは1859年にイタリア共和国のひとつとなることを決めました。
このトスカーナの動きが他の国々が統一に向けて動き出すきっかけとなったのでした。
これに引き続き、シチリア、ナポリ、マルケ、ウンブリアと説得を続け、最後にはローマとの調停にも尽力しイタリア最初の国王となるヴィットリオ・エマヌエレ・二世の事実上の右腕として活躍するのでした。
このようにベッティーノ・リカーゾリは政治の世界で活躍しましたが、彼はもう一つ重要な役割を果たしました。
政治の世界から離れた彼は父親から受け継いだキャンティ地方南に位置するCastello di Brolio(ブローリオ城)に家族で移り住みます。
これまでぶどう、オリーヴ、森などが整備されず、野生の山だったキャンティ地方を、「農業は経済の基礎である」をモットーに研究、整備を進めます。
これに際し、これまで何の取り決めもなく造られていたキャンティというワインの造り方を定義しました。
- サンジョヴェーゼ種という品種をメインに、この土地でかつてから造られていているカナイオーロ種と白ぶどう品種のマルヴァジーア種をくわえて造ること
- サンジョヴェーゼ種は樽に入れることによっておいしくなること
などを取り決めました。
これによりイタリアワインを代表するキャンティ・クラシコの定義がなされたのでした。
そして彼のワイナリーは現在でもBarone Ricasoli(バローネ・リカーゾリ)の名前でキャンティ・クラシコを造り続けています。
バローネ・リカーゾリのホームページへ
ペルバッコのワイナリー訪問ページへ
ドゥオモ側からリカーゾリ通りを進んでいきましょう。
通りを入ってすぐに左側に門が閉められた劇場「Teatro Niccolini(ニッコリーニ劇場)」があります。
現在は通常使用されていませんが、特別な企画にしか使用されていませんが、長い歴史を持つ劇場です。
元は左記の通りの名前からココメロ劇場(スイカ劇場)と呼ばれていました。
設立は1648年にAccademia Drammatica(ドラマアカデミー)の一人だったDon Lorenzo de` Medici(ドン・ロレンツォ・デ・メディチ)の出資により、Niccolo degli Ughi(ニッコロ・デリ・ウーギ)の設計により建造されました。
さらに歩を進めてみましょう。
左手に店内所狭しとサッカーチームのユニフォームがかけられているスポーツ用品店「Soccer Town(サッカー・タウン)」があります。
ここではオリジナルのユニフォームにネームを入れてくれますのでサッカー好きにはたまりません。
またフィレンツェのセリエAチーム、フィオレンティーナのオフィシャルショップでもあるのでフィオレンティーナ・グッズも多く取り揃えており、サッカー好きにはたまらないお店です。
「Soccer Town」(サッカー・タウン)
(Galleria dello Sport)
住所 |
Via Ricasoli, 25/27/31/33 r
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さらに進みVia de` Pucci(プッチ通り)と交わる手前右のかどにはランプが5つぶら下がったマリア様のフレスコ画があります。
Tabernacolo delle Cinque Lampade(タベルナーコロ・デッレ・チンクエ・ランパデ)です。
タベルナーコロとは街角の壁に作られた小さな祭壇のようなものです。
ここには2つのフレスコ画があり、左の大きなほうは1300年代のもので作者不明、右の小さなほうは1500年代のCosimo Rosselli(コジモ・ロセッリ)のものです。
この祭壇は芸術的価値だけでなく、1700年代にここで文学者が暗殺されるという、悲しい歴史も持っています。
プッチ通りを突っ切ってさらに進むと左手にかわいらしいデザイングッズが飾られているお店があります。
ここはイタリアン・デザインの代名詞ともいえるALESSI (アレッシ)の正規代理店に認められている e-my(イー・マイ)です。
アレッシ・グッズはもちろん、かわいらしい雑貨を多くそろえています。
購入しなくても覗いている見るだけでも楽しいお店です。
ちょうどこの通りの中間あたりまで来ると、左手にあるのがレジデンス・ピッココロです。
このレジデンス、加藤早紀子さんという日本人の方が経営しています。
部屋にはすべてキッチンがついているので、長期滞在にはとても便利です。
また日本人がオーナーだからこそ、隅々まで清潔に保たれていて気持ちよく滞在することができます。
町に近いのも嬉しいですね。
「Piccolo Residence Apart Hotel」
(ピッコロ・レジデンス・アパート・ホテル)
住所 |
Via Ricasoli, 23
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TEL |
055-2670069
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さらにアルファーニ通りの手前まで進むとフィレンツェでは珍しいシチリアン・ジェラートが楽しめるジェラテリア「Carabe」(カラベ)があります。
ジェラートだけでなくイタリア風カキ氷のグラニータは暑い夏にお勧めです。
「Gelateria Carabe」
(ジェラテリア・カラベ)
住所 |
Via Ricasli, 60
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TEL |
055-055-289476
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アルファーニ通りを横切りさらに進むと、右手にはフィレンツェで最も重要な美術館の一つGalleria dell'Accademia(アカデミア美術館)があります。
言わずと知れた、ミケランジェロ作ダビデがあります。
予約をしていない場合は夕方の遅い時間などに立ち寄ると、すんなり入れることもあります。
この美術館のはす向かいにはスーパーマーケット・イル・チェントロがあります。
ちょっと困ったときにスーパーがあると便利です。
スーパーマーケット利用法に進む
さてこの通りの終わり、サン・マルコ広場に到着です。
今回の散策もここで終わりです。
お疲れ様でした。
2010年3月 よこた