五十八通り目 Piazza Filippo Burnelleschi, Via del Castellaccio e Via de` Pucci
(フィリッポ・ブルネッレスキ広場、カステッラッチョ通りとプッチ通り)

58番目の通りは、Piazza Filippo Burnelleschi(フィリッポ・ブルネッレスキ広場)とその前を通るVia del Castellaccio(カステッラッチョ通り)、Via de` Pucci(プッチ通り)です。

ピアッツァ・フィリッポ・ブルネスキ

Piazza Filippo Brunelleschi

フィレンツェの地名学者の間では、フィレンツェの象徴サンタ・マリア・デル・フィオーレこと、ドゥオーモのクーポラの建設者Filippo Brunelleschi(フィリッポ・ブルネッレスキ:1377-1446)の名前を冠した通り、広場の存在が長いこと待たれていました。

考慮に考慮が重ねられ、1936年、彼の埋もれた傑作と言われているChiesa di Santa Maria degli Angeli(サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会;またはトスカーナではChiesa di Santa Maria degli Agnoli(サンタ・マリア・デリ・アニョーリ教会))、通称ブルネッレスキのロトンダが残るこの広場を、フィリッポ・ブルネッレスキ広場と呼ぶことが決められました。

ブルネレスキのロトンダロトンダはアルファーニ通りとカステラッチョ通りの角=フィリッポ・ブルネッレスキ広場の一部に建っています。
ブルネッレスキによって1430年前半に設計され、内部は八角形、外側は十六角形の集中式を採用した建物でした。
建築用語の集中式(英語でセントラルプラン)は、建築の平面構成が、円や正方形、正八角形、正十二角形、正多角形など、一点を中心に放射状に広がる形になる様式のことをいいます。
古典建築が元となり、ルネサンスでは絶対的な美と比較の象徴でした。

カステッラッチョ通りカマルドリ修道会の修道院に隣接した教会として建築が始まりましたが、フィレンツェ共和国がルッカとの戦争で建築費用を軍事費に回してしまったため、工事は中断せざるを得ず、屋根が取り付けられる前の姿は、壊れたお城(カステッロ)のようでカステッラッチョと揶揄されたそうです。

これが、この広場の前を通るカステッラッチョ通りの由来となりました。
その後、様々な手を加えられたロトンダは、1937年にロドルフォ・サヴィティーニ)が手掛けた修復により、余計なものが取り除かれ、ブルネッレスキの設計図に近い現在の姿になりました。

現在は、この広場に面しているフィレンツェ大学の建物の一部として使われています。

広場にあるフィレンツェ大学の一部

フィリッポ・ブルネッレスキ広場

フィレンツェ・ドゥオモのクーポラブルネッレスキが生存中に完成せず、現在でも設計通りの完璧な姿にはないロトンダが建つ、彼の名前を持つ広場から、彼の最高傑作の1つドゥオーモのクーポラ部分を見ることが出来るのも何かの縁に感じます。

広場からカステラッチョ通りを道なりに進むと11番目の通りで紹介したセルヴィ通りに出ます。ドゥオーモのクーポラが見える方へ進むと、プッチ通りと交差します。


プッチ通りから見えるクーポラ

Via de` Pucci

プッチ通りはドゥオーモに平行して走る通りですが、バス通りになっており、中心地の中でも車通りの多い通りになっています。
様々な業種のお店が並んでいるのですが、ここ数年の不景気の影響か入れ替わりが激しかったり、いつの間にか閉店していたり、ちょっと寂しい通りになりました。

Palazzo Pucci(プッチ宮)セルヴィ通りとの交差点からサン・ロレンツォ広場方向に見て、右側のほとんどを占める建物がこの通りの名前の由来となっているPalazzo Pucci(プッチ宮)です。



プッチ一族はフィレンツェ出身の古い貴族で、元々の苗字はSaracini(サラチーニ)と言われており、一族のJacopo(ヤコポ)の時代に、Jacopuccio(ヤコプッチョ)との愛称で呼ばれ、それが変化して、1200年代にPucci(プッチ)と呼ばれるようになりました。
メディチ家とのつながりが強かったため、1560年にパンドルフォ・プッチがコジモ1世に謀反を起こすまでは、フィレンツェ共和国で様々な要職を担っていました。

パンドルフォは刺客を雇い、サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場に行く途中のコジモ1世を、プッチ宮の窓から火縄銃で狙わせ、暗殺を謀りましたが計画は失敗し、パンドルフォと共犯者たちは絞首刑になり、バルジェッロの窓から吊らされました。
処罰の1つとして、プッチ宮もメディチ家の監理下に置かれ、忌まわしい事件の現場となった1階の1番右にある窓が塗り固められました。
今でも窓枠のみが見られ、窓はなく、当時のままです。

その後、フェルナンド1世時代になり、プッチ家の勢力も盛り返しました。

プッチ宮は3つの建物が統一された建物で、2、4、6番地にそれぞれ入り口があります。

プッチ宮入り口

プッチ宮内部

4番地の入り口部分がもっとも古い建物で、1520年台に建築されました。
入り口上には、黒人像が特徴のプッチ家の紋章が掲げられています。
この黒人像は門扉、外灯などいろいろなところに見られます。

プッチ家紋章

プッチ家紋章

プッチ家紋章

小さな入り口1階の窓の下の部分が開けられ、高さ1メートル80センチに満たない小さな入り口になっています。


建物の構造、装飾が洗練されて見えるのは、プッチ家の末裔がファッションブランドのEmilio Pucci(エミリオ・プッチ)だからでしょうか。

プッチ宮に押されて、目立たない存在になっていますが、向かい側3番地に建つPalazzo Incontri(インコントリ宮)も1300年代のメディチ家関連の建物の1つです。

Via Ricasoli(リカーゾリ通り)プッチ宮の終わりは53番目に紹介したVia Ricasoli(リカーゾリ通り)と交差します。

左手を見ると、ドゥオーモの一部、ジョットの鐘楼が見え、ドゥオーモと平行している通りだということがわかります。


この交差点を越して、5番目に紹介したVia Cavour(カヴール通り)との交差点でこの通りは終わりです。

サン・ジョヴァンニ礼拝堂右手はドゥオーモ広場まで歩行者天国、奥にはサン・ジョヴァンニ礼拝堂が見えます。
前方にはサン・ロレンツォ広場と人が一気に増え、にぎやかになります。


2010年9月 なお

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