第六十七通り目 Piazza Pieve, Lungarno della Zecca Vecchia e Piazza dei Cavalleggeri
(ピエーヴェ広場、ルンガルノ・デッラ・ゼッカ・ヴェッキアとカヴァッレッジェーリ広場)
アルノ川沿いにそびえ立つ塔と緑に囲まれたフィレンツェの町並みが一望出来る通りを紹介します。
町の中心とは違い観光スポットやショップが立ち並ぶエリアではなく、景色を眺めながらゆっくりと散歩するのにはピッタリです。
今回の出発地点は、Torre della Zecca(ゼッカの塔)近くにあるPiazza Pieve(ピエーヴェ広場)。
もともとここはPiazza della Zecca Vecchia(ゼッカ・ヴェッキア広場)と呼ばれていました。
現在の名前になっているピエーヴェは、ヴェネト州を流れヴェネツィアの北東に河口を持つ川の名前で、第一次世界大戦中の1917年にイタリアとオーストリアが戦いを繰り広げた地域としても有名です。
イタリアの歴史上で重要な名前がここフィレンツェにもつけられたのかもしれません。
1865年から1871年までフィレンツェがイタリア王国の首都にあたって、城壁のほとんどが町を取り囲む循環道路となりました。
その中の1つViale della Giovine Italia(ジョヴィネ・イタリア大通り)がアルノ川とぶつかる所に立つ塔が、Torre della Zecca(ゼッカの塔)です。
Zecca(ゼッカ)とは造幣所という意味があり、塔の名前はここでフィレンツェ共和国時代(1115年~1532年)の通貨Fiorino(フィオリーノ)を造幣していたことに由来します。
アルノ川の水力を利用し、地下にある約300㎡のスペースで行われていました。
ここが出来る前は、現在のウッフィツィ美術館の近くのVia Ninna(ニンナ通り)にあった水流を利用した造幣所がありました。
フィオリーノが最初に造幣されたのは1252年。
フィレンツェの銀行の繁栄と共に、フィオリーノはヴェネツィアのDucato(ドゥカート)と共にヨーロッパの主要通貨として使用されていました。
塔は以前は要塞の一部で、シンプル且つどっしりとした造りで小さな銃眼がいくつかしかないのが特徴的です。
アルノ川に面した壁にはフィレンツェ出身の詩人、哲学者、政治家だったDante Alighieri(ダンテ・アリギエーリ)が書いた「神曲」の地獄篇の一部、アルノ川について書かれている詩が刻まれています。
最上階からの眺めは素晴らしいでしょうが、残念ながら一般開放はされていません。
ここから6月24日のフィレンツェの守護聖人サン・ジョヴァンニの花火を見たらさぞかし綺麗でしょうね。
現在一般開放されておりませんが、もしかしたら近年開放されるかもしれないのがゼッカの塔とここから見えるPorta San Niccolo(サン・ニッコロ門)があるPiazza Giuseppe Poggi(ジュゼッペ・ポッジ広場)を結ぶアルノ川の下を通る地下道です。
1500年代に防衛用の通路として造られ、1800年代には送水管の検査をする場所として利用され1900年代以降未使用の道となっています。
2010年6月にフィレンツェ市長をはじめとする関係者が調査のため地下道を通り、今後一般開放をするかどうかも含めた利用方法に関して検討・協議するとの報道がありました。
ただし、実現には300万ユーロ(約3億6千万円)もの費用がかかると言われているので実際には難しいのかもしれません。
さて、ゼッカの塔から伸びる広い通りLungarno della Zecca Vecchia(ルンガルノ・デッラ・ゼッカ・ヴェッキア)へと進みましょう。
Lungarno(ルンガルノ)と名前の付く通りは、市内に何本かあります。
Lungoとは「長い、長く伸びた」、Arnoは「アルノ川」、2つの単語を合わせて「アルノ川沿いに伸びている」という意味があります。
よって、ルンガルノとつく通りはどれもアルノ川沿いにある通りです。
この通りには観光スポットやショップがありません。
ホテルとして使用されている1800年代の建物が立ち並んでいます。
では、何を楽しむのか?
それは、ここから眺めるアルノ川対岸の景色です。
サン・ニッコロ門とその上に位置するPiazzale Michelangiolo(ミケランジェロ広場)、少し進むと黄色や白、ピンク色に彩られた建物が並びます。
Ponte alle Grazie(グラツィエ橋)からPonte Vecchio(ポンテ・ヴェッキオ)にかけては絵画がそのまま目の前に現れたかのような景色が現れます。
2011年とは思えないこの景色、これからもずっとこのままであって欲しいですね。
ルンガルノ・デッラ・ゼッカ・ヴェッキアが終わり広場に到着すると、右手に立派な建物が見えてきます。
1572年以前はトスカーナ大公国のフェルディナンド1世広場呼ばれていましたが、トスカーナ大公国の軽装馬隊の兵舎があったことからPiazza dei Cavalleggeri(カヴァッレッジェーリ広場)と呼ばれるようになりました。
立派な建物は、Biblioteca Nazionale Centrale di Firenze(フィレンツェ国立中央図書館)です。
プライベートライブラリーに3万冊もの本を持っていたAntonio Magliabechi(アントニオ・マリアベーキ)が1714年に亡くなった際、そのまま彼の蔵書全てを「フィレンツェのために」と寄付したことから図書館の歴史が始まりました。
1737年にはフィレンツェで、1743年にはトスカーナ大公国内で出版された本をマリアベーキの蔵書と共に所有し、1747年に図書館は一般開放されました。
イタリア王国時代の1861年12月22日、パラティーナ図書館とマリアベーキ図書館が1つにまとめられ国立図書館となり、1869年にはイタリア国内で出版された本をこの図書館が所有するようになりました。
「中央」とつくようになったのはローマにもある図書館同様1885年で、ウッフィツィ内にあった図書館が現在の場所に移動したのは1935年のことでした。
1966年11月4日のアルノ川大氾濫の際、一番被害の大きかったサンタ・クローチェエリアにあった図書館はサンタ・クローチェ教会同様大きなダメージを受け、多くの蔵書が水と泥まみれになってしまいました。
完全に失ってしまったものもあれば、修復士の技術のお蔭で蘇った本もあり。
様々な歴史を経て、今も尚たくさんの人達に利用されています。
「Biblioteca Nazionale Centrale di Firenze」
(フィレンツェ国立中央図書館)
住所 |
Piazza dei Cavalleggeri,1
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TEL |
055-249191
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開館時間 |
月~金曜8:15~19:00 土曜8:15~13:30
6月24日9:00~13:00、8月1~15日11:00~13:00、8月16~31日8:15~13:30
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閉館日 |
日曜、祝日
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ホームページ |
散歩をするには気持ちがいい道紹介もここで終わりです。
夕日が沈む時間帯は、オレンジがかったきれいな空の色も見られるのでぜひ足を伸ばしてみて下さい。
2011年7月 宮崎